祇園エリア

祇園閣(大雲院)

〝京都に銅閣寺を造る〟という夢を持って建築された<祇園閣>

祇園から円山公園や高台寺の辺りを散策していると、洒落た塔の様な建物が目につきます。最初は何か解らなかったのですが、後に特別公開のポスターを見て、大雲院祇園閣と判明し、行ってきました。

大雲院の境内は、もともと大倉喜八郎氏の別邸 真葛荘(まくずそう)だったのですが、この方は、一代で巨万の富を築き、現在の大成建設や帝国ホテルの創始者なのです。

 

老後の静養の地として、この地に別邸「真葛荘」を建てた大倉喜八郎氏は、足腰の弱りから、大好きな祇園界隈の散策が出来なくなってきたので、祇園を一望できる建物を敷地内に建てようとしました。

そして、金閣も銀閣に続く、銅閣と云う形で、祇園はもとより、京都の名物にすることを考えていたそうです。

残念ながら完成を待たずして、大倉喜八郎氏は亡くなりましたが、祇園閣は、今も東山山麓に独特の景観を醸し出しております。

銅板の屋根に銅閣寺の想いを見る

そこで、昭和初期の代表的な建築家・伊藤忠太氏に設計を依頼し、少年時代に見た、「突風に吹かれて逆立った雨傘」のイメージで作るように求めていたそうです。しかしさすがにそれは無理だったようで、祇園祭の山鉾をモチーフにした形にまとめたそうです。そして、その形から「祇園閣」と名付けられたのです。

そして、祇園祭の壮観さを常に披露できるようにと、鉾先には金鶴が輝く 山鉾を模した高さ36メートルの建物が建てられたのです。

この「祇園閣」は屋根が銅板葺きにされており、銅閣寺と言えるかは別にして、大倉喜八郎氏の夢だった”銅閣”のエッセンスが盛り込まれています。

信長・信忠の菩提寺・大雲院にある祇園閣

大雲院は、天正15年に、織田信長、信忠父子の菩提を伴う為に建てられ、信忠公の法名に因んで、大雲院と名付けられました。その後、秀吉が寺町四条に伽藍を移しましたが、昭和48年の高島屋建設の折に、祇園閣のある真葛が原に移転し、本堂が完成されました。

昭和62年に、大雲院開基400年に当たり、祇園閣の修復と祇園閣内部に敦煌の壁画の模写が行われました。
特別公開では、この鮮やかな壁画と、大倉喜八郎氏が見る事が出来なかった祇園閣に上っての眺望が楽しめます。

大雲院は、新しい建物ですが、本堂には、御本尊の江戸期作の尺六の阿弥陀如来像が安置され、特別公開時には、この阿弥陀様の前でお話が聞けました。

また、本尊内部に 胎内仏として創建当時の作と云われる 桃山期の阿弥陀如来像が収められているそうです。

特別拝観の時に参拝されるのがおススメですが、祇園閣の姿は外からでも眺められますので、東山界隈に行かれた際には探してみられたらいかがでしょうか。